

- 日時:9月13日 16時〜17時
- 聞き手:マリー秋沢(比較文化学部),豊田圭一(経済学部 平成4年卒),本谷隆光(経済学部 平成6年卒)
- 編集:本谷隆光(経済学部 平成6年卒)
今回は株式会社セブンシグネチャーズ 代表取締役社長である中野陽一郎さんにお話を伺いました。
まず朝はこの風景が見渡せる素敵なオフィス(笑)に来て何をなさいますか? (株式会社セブンシグネチャーズのオフィスは月刊「商店建築」3月号にも掲載されています)

ありがとうございます(笑)。まず、7時半位に出社し、午前中はロスやニューヨークを中心に海外とのカンファレンスコールを行います。それ以外は各種ミーティングですね。イベント打ち合わせなどもしますし、もちろんお客様とお話をします。結果的に365日外食・会食になってしまいます(笑)。
マリー秋沢:フランフラン(日本最大のインテリア雑貨販売会社)を展開する株式会社バルス(東証一部上場企業)と財務コンサルティングを行う株式会社レキシントン(LEXINGTON)の合弁会社である御社ですが、中野様はどのような経緯で今のお立場になられたのですか?
中野社長:
バルスの代表である高島さんは元々私のお客様でした。
私自身は1989年のゴールドマンサックスの第一期生で、その後UBS、コメルツ証券会社と移り、資産コンサルティング部門の部門長を2003年まで務めました。2003年にコメルツがMBO(Management Buy Out)したのを機に、レキシントンが誕生しました。元コメルツのプライベートバンキング部門を中心として作られた会社ですから、お客様は上場企業の代表や芸能人、スポーツ選手などが多く、その中の一人が高島さんでした。
高島さんとは、多方面において共通の認識があり、随分と懇意にしておりました。お互い日頃から、出張で国内外を飛び回る生活を送っておりますので、特に旅先での限られた時間を過ごすホテルへのこだわりは相当。理想を話し合ううちに、デザイン性とホスピタリティを重視したホテルを展開できないかと考えるようになり、共同出資で、2006年株式会社セブンシグネチャーズを設立しました。そしてその最初のプロジェクトが、昨年単日売上約800億円という住宅不動産部門の販売で世界記録を更新したハワイのホテルコンドミニアム、トランプ・インターナショナル・ホテルアンドタワー ワイキキ・ビーチ・ウォークです。
中野社長の経営哲学を教えて下さい。
中野社長:
やはり何より大切なのはビジョンだと思います。
経営者には様々なタイプがあると思いますが、私はビジョンを創り出して行く、いわゆるクリエーター型の経営者です。
スタッフは、私含め色々な役職があれど、全て同じビジョンを共有しながらゴールを目指す同志だと思っています。ですから経営者としてはビジョンがブレないこと、またブレずに共有してゆくこと、これが一番大切です。
なるほど。ではセブンシグネチャーズのビジョンとは何ですか?
中野社長:
セブンシグネチャーズはホテルコンドミニアムに専業特化しており、さらにファイブスターに限定しています。「世界のファイブスターを日本に紹介する」。それを考えています。
日本はこれだけの経済大国でありながら、本当のライフスタイルをリードする人はまだ少ないと思います。勤勉で素晴らしいですが、ITや携帯電話の発展などによりなおさら仕事に追われ、リラックスすることや余暇の充実に疎く、拙い。
それに比べ、欧米では、リラックスや充実した余暇の過ごし方を重視したライフスタイルも既に確立し、日々新しいゆとりスタイルが生まれていますから、私はそれを日本の皆様にも紹介・提案できればと思うのです。
ただし、個人的な意見かもしれませんが、サービス、ホスピタリティにおいてはは圧倒的に日本の方が上。
なので、同時に「日本のおもてなし文化を世界に発信してゆくこと」も実現してゆきたい。
建物・設備・デザインなどのいわばハードの部分は欧米のものを導入し、細やかな配慮や和の心ならではのおもてなしなど、ソフトの部分は日本独自の良さを活かすということですか?
中野社長:
ハードの分野でも日本はコピー&インプルーブが上手い。最終的にはハードの部分でも日本が勝ります。海外のホテルに行けばわかりますが、内装の仕上げ一つも日本が一番なんです。ただし発想の部分は欧米の方が先んじますね。
例えば、1年前「なぜパークハイアット東京が創業10年を超えてもいまだにNo.1か」というテーマで話す機会がありました。10年前の日本にニューヨークグリルを導入したのは明らかに斬新なアイデアでした。今でこそオープンキッチンは主流でも、当時の日本にはなく、全面ガラス張り、アイルランドの女性シェフの起用など、発想やコンセプトで圧倒的に勝っていました。現在、マンダリンオリエンタル、ペニンシュラなど有名ホテルが上陸してきましたが、今でもパークハイアット東京は必ずトップ3に入ります。当時、ハイアットインターナショナルのマーケティングのヘッド、リチャード・バイト氏は「レストランに一番力を入れる」ことを明言していました。これがハイアットグループのポリシーなんですね。つまり、発想が抜きん出ているということなんです。
ですから、時代の先端である斬新な発想は最初欧米から持ち込まれ、その後応用していくのは日本人が上手いと私は思います。
欧米ならではの発想の部分と、日本が得意とする応用の部分の融合、いわば中野社長の完璧なビジョンが今セブンシグネチャーズによって実現できているという事ですね。
中野社長:そうですね。もともとビジネスモデルとしてホテルコンドミニアムという発想が日本にはないと思います。一番最初のプロジェクトが、地上38階合計463部屋のハワイ ワイキキの真ん中に建つトランプ・インターナショナル・ホテルアンドタワー ワイキキ・ビーチ・ウォークです。これにはホテルの一室一室に区分所有権が設定され、一つ一つが購入できるのです。ホテルの部屋が自分のものになるという発想は、これまでのの日本にはまずなかったことですので、これがあらゆる点にいて、今後の日本のビジネスだけでなく、ライフスタイルをも大きく変えて行くモデルになると思っています。 今も色々なプロジェクトに着手していますので、今後も是非期待していてください。

中野社長の記事が掲載されている雑誌「GQ」を拝読しましたが、人気パティシエの トシ・ヨロイヅカさんなどを始め、業界を超えて幅広い交友関係がありますね。そのような交友関係の広がりが今のビジネスに結び付いているのですか?
中野社長:
我々の仕事は美学やリラックスといったライフスタイルの提案です。ですので、様々な業界の方とお会いします。
仕事柄、代表の方などにお目にかかることが多く、その都度実感するのは、やはり皆さん、明確なビジョンやオピニオンをお持ちの上に、また会話の引き出しが多く、実に面白い。
笑い話としてご苦労された経験談なども伺いますが、やはりそういった人生の先輩のほとんどが、必ず人生のダウンサイドを経験され、乗り越えて成功をされている。お話を伺うだけでも大変勉強になります。
大学時代はどんな学生でしたか?
中野社長:
大学時代だけに限った事ではないのですが、人と同じことをするのは好きではなかったですね(笑)。人と違うことをしたいと常に思っていました。
例えば、今でこそゴールドマンサックスは世界的に有名でも、私が大学を卒業する頃はバブルで、まさに売り手市場ですから、外資系の証券会社に就職する人の方が少なかったんです。周囲から反対もありました。でも、そんな時だからこそ、ウォールストリートに行こうと思ったんです。
当時、学部の単位は3年までに取得していたので、最後は社会人になるために自分にプラスになる準備をしようとリクルートでアルバイトをしたんです。社員と仕事の差はなくて、雨の日も風の日も飛び込み営業をしました。とある会社に行った時は、いきなり座らされ、灰皿の中身を頭から掛けられたこともありました。どうやら前任者がミスをして、その方は相当腹を立てていたようなんです。最後は非常に仲良くなりましたけど(笑)。
でも思うことがあります。これは私の哲学でもあるのですが、「大変なこと、辛いこと、果ては絶体絶命だと思うことが人生では必ず降りかかります。しかし、人間には自分で解決できることしか悩みとして降りかかってこない。そしてそれらは乗り越えられる」ということです。
リクルートの過酷な(笑)アルバイトの時もそう思われたんですか!?
中野社長:
そうですね(笑)。私は先ほどクリエーター型だと言いましたが、常にクリエイティブな発想をしようと心掛けています。どんな状況であっても、自分の状況を冷静に分析し、何がここから次の展開につながって行くかと考えます。
リクルートでも同じです。ここは日本最大の会社就職情報に関するデータベースを持っている会社です。社員もアルバイトも差がないので、社員食堂でもう顔馴染じみになっていた警備員さんにそしらぬふりで挨拶をしたら、マザーホストコンピュータールームに入れたんです。そしてコンピューターにアクセスし、興味半分で最も給与の高い企業はどこかを検索しました(笑)。有名な日本企業が絶対上位に来ると思ったのですが、その検索結果として上位に出てきたのはソロモンスミスバーニー、ゴールドマンサックス、リーマンブラザーズなどだったんです。そこで、そこまでの給与を支払えるほどの大きな事業展開をするそれらの企業に興味を持ちましたね。
何らかの運命なのでしょう。まるで人生は誰かがプログラムしているかのように、起こる事柄は良いことにせよ、悪い事にせよ、意味とそのタイミングがあり、自分に関与していると私は考えます。ちょうどその時、映画「ウォール街」が上映されます。全てがリンクする感覚を覚えました。ウォールストリートに興味が湧き、周囲に反対されつつも、ゴールドマンサックスを選び、1989年にニューヨークへと、渡米します。
人生でのリンクや何らかの符合、そして運命というものを敏感に察知されるということですね。
中野社長:
それから私は運も良いと思っています。
例えばニューヨークに赴任した時に、通常はアソシエイトだからそんなに良い住居を手配してはもらえません。しかし、私の場合は手違いで住む場所が手配できない状況になってしまったんです。当然住む場所が必要ですから、ゴールドマンサックスのHRの方が空いているバイスプレジデント用の部屋を用意してくれ、そこに住めることになったんです。28階の素敵な部屋でした。近くにはアーティストのプリンスが住んでいました(笑)。
正しくウォール街の中心、一見華やかに見えるかもしれませんが、夢を掴んだなどと思ったのはものの3日間で、4日目からはここから飛び降りた方が楽かと考えるくらいシビアな世界でしたよ。ブラックマンデーもありましたし、ニュースになる有名企業の倒産を目の前で見ることにもなりました。夜中1時まで仕事をし、朝4時には出社です。睡眠時間はほとんどない上、あの時代のNYは治安もとても悪く、まだ真っ暗な中グランドセントラルステーションまで毎朝向かいました。
そんな頃です。今でも覚えていますが、グランドセントラルステーションのわきにボーダーズというブックストアがありました。正しくクリスマスの日、寒さに凍え、歩いていると、ショーウィンドウの一冊の本が目に止まりました。そして、今年のベストセラーと宣伝してあるその本の表紙に出ている方が誰かを店員さんに訪ねたんです。それがドナルド・トランプ氏でした。
正しく彼こそアメリカンドリームだと言われ、将来こんな人と一緒に仕事ができたらいいなと思いました。23歳の時です。
すごいですね!ただ、もちろん様々な紆余曲折を経て、掴み取ってきた経験をベースに今があるのでしょうね。そんな中野社長から後輩のビジネスパーソンへアドバイスを頂けますか?
今の日本は嫌な仕事もやらなくてはならない、自分の時間も取れない、なかなか未来も見えないと悶々としている時代だと思いますから…。
繰り返しになってしまうかもしれませんが、「絶体絶命でも諦めない」ことですね。
人はよく会社のせいにしたり、周囲の他者のせいにしたり、状況のせいにしたりすることがありますが、それは全て言い訳に過ぎないと思います。自分の時間も自分の人間関係(愛する人やお客様など全て)もあらゆるコントロール、支配権は自分しか握っていないのです。つまり、自分が全てを変えるんです。私は「運命は変えていける」と信じています。
本日は素敵なお話をどうもありがとうございました。
中野陽一郎さんプロフィール
1966年東京生まれ。上智大学法学部卒業後、外資系金融機関を経て、資産運用コンサルティング会社、株式会社Lexington(レキシントン)を創立。2006年、一部上場インテリア会社 株式会社BALS(バルス)との共同出資により合弁会社、株式会社Seven Signatures(セブンシグネチャーズ)を立ち上げ、トランプインターナショナル・ホテル&タワー・ワイキキ・ビーチ・ウォークを皮切りに、5つ星に限定したラグジュアリーホテルコンドミニアム事業を展開。現在、株式会社Lexington代表取締役社長と、株式会社Seven Signatures代表取締役社長を兼務する。
(平成19年9月現在)
リンク

株式会社Seven Signatures(セブンシグネチャーズ) http://www.sevensignatures.com/
〜マリー秋沢のひとり言〜
「宿命は変えられなくても、運命は変えられる」という言葉を聞いたことがありますが、実際に、運命を切り開いてこられた方のお話を聞けることはまれです。今回、中野社長がお話下さったことの一部始終は、まさに、ご自分で運を切り開いてこられた運命のストーリー。中野社長のさわやかな笑顔とは裏腹に、実は人より何十倍の努力を重ね、様々な壁を乗り越えられてきたことが、今回のお話を聞せいただきよくわかりました。なんてかっこいい人生を歩んできた方なんだろう!中野社長のチャレンジは、これからもさらに続くことでしょう。ステキです。
〜本谷隆光のひとり言〜
とても興味深いエピソードを惜しむことなく語ってくれた中野社長。今までに至る経緯、そのビジネススタイルや哲学など、大変感銘を受けました。「運命は変えられる。絶体絶命でも諦めない。周囲ではなく、常に自分を変える。自分が運命の支配権を100%握るのだから」。後輩である我々始め、若きビジネスパーソンが心に刻むべき名言だと実感します。
