私の転職歴|伊達 万寿夫
卒業して30年
一昨年秋に経鷲会の役員を仰せつかり、お役に立てるかどうか不安でしたが、会のため微力を尽くしたいと思っております。
10年前に独立し、いまは中小企業の情報戦略&ITコンサルタントに従事しております。
現在は転職することが当たり前の世の中になりましたが、以下に、私のこれまで辿った職歴をご紹介して若い皆さんの参考にさせて頂きます。
卒業後、横浜ゴム(入社時、浜ゴムと米国企業の合弁企業)に入社し、油圧関連製品のメーカーセールスとして9年間お世話になりました。その後、工場系システムエンジニアリングのベンチャー企業の立ち上げを頼まれ、それを軌道にのせるまでの3年間、岡山で過ごしました。そこで、大手石膏ボードメーカー向けにボードのオンライン非接触厚み自動計測装置システムを日本で初めて自社開発し、全工場に納入しました。
また、倉敷紡績電子応用システム(赤外線水分計)からの依頼で、広島マツダ本社工場の鋳物砂水分測定システムのシーケンス制御装置を開発したこともありました。その実績から、倉敷紡績にへッドハンティングされ、トンネル顕微鏡(ソフト・ハード)及び光ファイバー関連の新規事業責任者として3年間勤務することになりました。その後、横浜のビル管理企業から声がかかり、新規事業のビル清掃管理システム販売の営業責任者として4年間の経験を積みました。
人生を変える出来事
実は最後の職場で、私のその後の人生を変える出来事が起こりました。その企業では、12年まえから社内LANと拠点間WANネットワークを構築し、電子メールやグループウェアを利用して、業務プロセスのスピードアップと業務管理レベルの向上を目指していました。
入社以来、会社内の若手の中でも起業マインドにあふれた者達と「ビジョン、事業戦略、BPR」などをコミュニケートしている中で、次第に新しい事業計画イメージが出来上がり、彼らが独立して企業を起こしたいという「ちょっとした謀反の考え」が生まれました。そこで、電子メールを利用しながら、部長の私としては独立可能性をシュミレーションして彼らの現状に対する不満のガス抜きをすることにしました。当然、シュミレーション結果は、当時の市場環境からみて戦略的にもキャッシュフロー的にも難しいことが分かったので、「現状の中で改革し、あるべき姿にするために頑張ろう」ということで独立劇の幕引きを彼らに納得させました。ところが、私が突然に部長として中途入社してきたため、それを面白くないと思っていた部下の課長(美人で切れ者。後にノウハウを盗んで独立)が、仲の良いシステム部長(彼も一緒に独立)と組んで私のメール履歴を検閲し(法的には合法ですが)、私の「謀反」を社長に進言したのです。
1996年3月11日、その日はあまりにも突然訪れ、社長から辞職勧告を受けました。その結果が10年前の独立劇になるわけでありますが、その事件が私自身を大きく変革してくれ、まったく経験のなかった現在の仕事をするという贈り物をしてくれたと、いまでは感謝している思いです。
このようなことが良い事例とは思いませんが、大きな苦しみや失敗が自分を変革するトリガーになることを、若い人たちに理解してもらえれば幸いです。
ちなみに“独立騒動”の彼ら3人は、会社に残れという社長の言葉を背にして全員が退職し、今は、それぞれが他の企業で責任ある立場に出世して頑張っております。
