6 年間の修道生活、そして会社勤めへ
私は高宮ゼミに入っていました。ゼミでは高宮教授の他に2名の先生もご指導され、特に高宮教授のトップマネジメント論は実際の企業から学び取ったもので、その後、企業勤めをしてから役に立つものばかりでした。しかしながらカトリック信者の私はどういう訳か3年生の2学期頃から企業人になるより「神父」になろうという思いが徐々に強くなり、4年生の時には司祭になるためのコース、当時の文学部スコラ哲学科(現在の神学部神学科)の1年生を兼ねて勉強に励みました。
脇目もふらず神父になる事ばかり夢見て
4年生になったばかりの4月の中旬頃に突然学校から呼び出しを受けて何事かと伺ったところ、[1]3年生までの成績が優秀で[2]授業態度が良好[3]かつカトリック信者で真面目?であった事などの理由で、イタリアのオリベッティ社日本支社より表彰され、当時で5万円もの大金をいただく話でびっくりしました。年間の授業料が確か3万円ちょっとの時代でした。更におまけが付いていて、卒業後はその会社に自動的に就職が出来る事になっていました。また高宮先生からは大学院に来るよう誘われましたが、そんな事には脇目もふらず神父になる事ばかり夢見て、毎日、ラテン語や哲学などの勉強に夢中でした。
また4年生の時には「男子マリア会」修道会の志願者として経済そっちのけでスコラ哲学科の勉強ばかりをしていました。経済学部を卒業後、卒業式にも出ないで大磯の山奥にある修練院で修練生14名との修道生活が始まりました。毎朝5時起床、黙想の後、ミサにあずかり、掃除、朝食後、1日6〜7時間の授業を受け、午後には牛の世話などもしました。夜9時半ごろには消灯です。冬はストーブ、夏は扇風機だけでした。暑い夜は窓を開けて床につくと、遠く「大磯ロングビーチ」から何ともいえぬハワイアンソングが聞こえて来るではありませんか。でも邪心は一切捨て、一心不乱に修練に励みました。
翌年の3月に初誓願を立て、再び東京に戻りスコラ哲学科の2年生に編入学。このスコラ哲学科の生徒は将来、神父になろうとする人ばかりですから、[1]麻雀はしない[2]煙草も吸わない[3]喫茶店に入っておしゃべりなんてもってのほか[4]若い女性や異性、特に綺麗な上智大学の女性との会話・交際は一切、御法度の別世界でした。
修道生活を止める決心をし「俗還願い」をバチカンに申請
スコラ哲学科卒業後、これまた卒業式にも出ず中間期と言って修道会が経営する大阪の明星学園の教師として派遣され、修道生活兼教員生活を始めました。1年ばかり過ぎた頃にどういう訳か私の心が揺れ動きはじめ、一生独身で修道院生活を続けて行って良いのだろうかという疑問が湧き、2〜3ヶ月の熟慮の末、ついに修道生活を止める決心をし「俗還願い」をバチカンに申請、許可が下りました。約6年間の修道生活でした。
修道会を退会後、その足で東京に戻り、散々思案したあげく、高宮先生に「就職」のお手紙を出し、お願いに伺いました。先生のお部屋を開けるとすぐに私の事を思い出され「どうした?神父になるんじゃなかったのか!」と言われ、あの時ほど「ばつが悪かった」事はありません。この思い出は一生忘れられません。先生のお世話で某社に無試験で入らせていただき、それから企業人として30余年勤務し、無事に定年を迎えました。昨春から国家公務員として公共職業安定所(ハローワーク)に勤務し、求人企業と失業者の相談に全身全霊を傾け、修道生活とは違った大変充実したやりがいのある日々を過ごしています。八月には63歳、医者の妻と3人の子供(既に結婚し独立)と可愛い4人の孫を持つお爺さんです。また東京都合唱連盟個人会員(プロ音楽家)、カトリック典礼聖歌・グレゴリオ聖歌指導者、スポーツ指導者、水泳指導者、プロのスキューバ・ダイバー、ライフセーバーなど趣味の世界に第二の人生を満喫しております。
