居酒屋を開店して30年
本誌に執筆を命じられ、開店30周年を目前にして、ゆっくりとこれまでを振り返る機会をいただいた。
戦後まもない昭和22年から養父が内幸町で洋食屋を開いていた。そんなわけで、その店には学生時代からアルバイトでよく出入りしていた。そのお店を養父から引継ぐように言われていたのが、この商売に入るきっかけとなった。建物の取り壊しでその店はなくなり、養父の店の跡取りもなくなったが、独立してどうせ店を持つなら四ツ谷がいいと、かねてから考えていた。ここには卒業生の店はほとんどなく、いまでも、私の知る限りでは、四谷見付交差点の「来来軒」(丁 永甫氏、S46法・法)と、4丁目にある「三ます鮨」(中山隆司氏、S43 経・経)の2軒くらいのものである。
卒業後、すぐに“この道”に入ろうと思っていたが、お金も経験もなにもないので、ゼミ(国際金融)の三木教授のお世話で、松坂屋へ入れていただいた。でも、どうしてもレストランのオーナーになりたいという夢を忘れられず、3 年間で松坂屋を退職した。そして、武蔵小山や原宿にあるレストランのコック見習から修行が始まる。三木先生もこのときはだいぶ心配して下さり,ありがたいことに、私の修行する店にご夫妻で時々顔を出していただいた。これも一重に学業成績が良かった(?)お陰かもしれない。
借金してでも手っ取り早く店を開こうと考えて、居酒屋「桑」を始めることに
さて、四ツ谷に店を持ちたいとは言っても、先立つお金があるわけではない。なんとか借金してでも手っ取り早く店を開こうと考えて、居酒屋「桑」を始めることにした。店の名前は実は三木先生の命名によるものである。
会計学の佐藤教授や高校・大学の先輩である川田教授(上智から専大の教授へ)、その他ここに書ききれないほど多くの先生方・卒業生の方々にお力をいただいて、開店早々から連日にぎわった。夕方5時になると、硬式テニス部、ラグビー部ほか体育会・応援団のみなさんが、その後になると、OBを含む多くの社会人がにぎやかに利用していただいた。経鷲会のみなさんによる激励と応援はことのほか有難かった。
結婚もして、ほかにもラッキーなことに恵まれ、居酒屋の次に念願していたレストランを四谷4丁目にオープンできた。もちろん借金をして・・・・・。国文科OBの奥田君がバイトでこの店にきて、卒業後は店長を任せられるようになり、彼には大いに活躍してもらった。居酒屋とこのレストランと2軒になったので、妻にも手伝ってもらい、てんてこ舞いで、夜中まで働く日々が続いた。
とにかく能天気なので、行け行けどんどんで
とにかく能天気なので、行け行けどんどんで走っていた。中学からの親友でこの道の先輩にもすっかり世話をかけてしまった。3年後にはもう1軒・・・・なんて、またまた能天気に考えていた矢先、妻の足に“しこり”ができ、悪性の疑いが強いと言われた。すぐに入院・手術。これにはさすがに度肝を抜かれた。幸いにも良性でホッとしたが、こんどは私が強度のストレスで目をやられた。まさに四面楚歌、これではとてもやっていけず、借金を抱えたまま、レストランをいったん手放し、スタートの居酒屋店主に戻った。
その3〜4年後に、縁あって四谷2丁目に前より大きいレストランを開業したが、またまたうまくいかずにクローズ。結局、居酒屋を今の「新道どうり」に移して、この場所で早くも15年の時が経った。
大きな滑走路をたくさんの人々に引っ張られ、支えられ、後押しされた小さな飛行機。飛び上がったと思ったら、それが大きな勘違い。まだまだテークオフどころか滑走している有様である。そんな、ちっぽけな店・・・・。
苦労はしたけれど、この店はとても楽しい。卒業生がいっぱい集まり、明るく団欒するそんな良い奮囲気が出来上がっています。みなさん、本当にありがとうございます。お陰さまで30周年!!私もそろそろ還暦です。
(居酒屋「桑」店主)
