ODAの現場にて

ODAの現場にて:坂本 喜久雄平成15年10月21日、ソフィアンズクラブにて昭和33年度経済学部同窓会が開催されました。50名ほどの出席者は、それぞれ卒業以来45年間にわたる想い出を語っています。「OO社を40年勤め上げ定年退職、今は孫に囲まれて・・・」などなどです。私は開発途上諸国援助(ODA)に関わる現場での経験を報告しました。同窓の川野会長のお勧めもあり、私のODA現場物語を投稿します。

「金融・銀行教室」を開設

1961年、政府はインドネシア賠償研修生200余名を受け入れました。これら研修生の受入れ事業を委託されたアジア協会は、上智の経済学部との共催にて「金融・銀行教室」を開設しました。この時に私のODAとの関わりが始まり、私はこの研修コースなどを担当する事となりました。アジア協会は、その後、海外協力事業団(OTCA)、国際協力事業団(JICA)にと改組されていますが、私としても、この間、青年海外協力隊(JOCV)の新設に関与する他、マレイシアJOCV駐在員(3年)、JICAシンガポール事務所長(3年)、JOCV派遣課長などを歴任しました(1961−79)。

18年にわたるJICA勤務の後、コンサルティング会社で開発プロジェクトの現場調査などを担当し(1979年)、翌年にアジア開発銀行(ADB,マニラ市所在)のカントリー・オフィサーとしてインドネシア、マレイシアなどに対する開発融資計画の立案に当り(4年)、その後、ADBがバヌアツ国ポートヴィラ市に開設の南太平洋地域事務所のシニア・エコノミストとしてソロモン諸島、キリバスなど南太平洋地域9ヶ国の経済動向調査・融資案件審査(4年)などに従事しました(1980−1988)。

ODAの現場経験を学術的に体系付けようとの研究に没頭

大学時代にはサッカーに没頭しすぎたとの反省から、1987年からは英国のニューカッスル大学客員研究員の資格を得て、ODAの現場経験を学術的に体系付けようとの研究に没頭しました。この間に書き上げた論文により、62歳をもってPhDを授理しています。また、同大学が設立の「東アジアセンター」に客員教授としても招かれ、日本・アジア問題研究を指導しました(1987−1992)。

4年半の英国生活から帰国、日本政府とUNHCRによるカンボジア難民対策計画に参加した後(1992)、JICA派遣の技術専門家として、パプアニューギニア国大蔵省・経済開発計画アドバイザー(2年)、次いで、アフリカ・ボツワナ国所在の南部アフリカ開発共同体(SADC)地域開発計画アドバイザー(1年)として派遣されています。

「農村開発計画・評価論」「国際農業開発協力特論」などを指導

1961年から1997年まで勤めたODAの現場から国内に復帰し、東洋大学が新設した国際地域学部の専任教授として「国際地域論」などを指導(1997−2001)、現在は、東京農業大学・大学院の客員教授として「農村開発計画・評価論」「国際農業開発協力特論」などを指導しています。
近頃、わが国のODAを囲んで、いろいろと「ダーティ・ニュース」が新聞・テレビを賑わしてはいますが、草の根レベルにて活動するシニア・ヴォランティアなどによる「エキサイティング・ストーリィ」はまだまだ沢山あります。JICAも緒方貞子元外国語部長のリーダシップのもと新たな展開が期待されています。

ODAの現場にて援助国側・被援助国側双方の立場や、2国間・多国間にわたる援助機関での経験は貴重なものと思い、今はこれらをもとに、ライフ・ワークとして、学生諸君と一緒に開発問題の勉強に取り組んでいます。

(東京農業大学大学院客員教授)

» back to top