サッカー人生〜サッカーは子供を大人にし、大人を紳士にする
昭和33年入学した頃 新聞はサッカーの記事かと見ればサーッと風が吹くだったり、上智の記事かなと見れば上野の事だったりとサッカー 上智とも新聞の記事になることは少なかった。
昭和39年東京オリンピックの時 サッカーの入場券が余り オリンピックをみたい人がサッカーをみてその面白さを知った。また 日本が強豪アルゼンチンを破ったことから人気が急上昇した。その立役者がドイツ人デットマル・クラマーさん。
〔目でみるな 耳できくな 心で観ろ 心で聴け〕
日本サッカー協会は世界中から コーチを探していた。
デットマル・クラマーさんの部屋に貼っていた文言をみて最終決定をした。
〔目でみるな 耳できくな 心で観ろ 心で聴け〕であった。
そのクラマーさんが36年初来日 日本代表を指導する前に イエズス会の関係で一日我々上智を指導してくれた。その時の言葉はただ一つ EXACTLY 正確に であった。
日本代表を 大和魂や残心という日本人も忘れていた日本語で指導 43年のメキシコオリンピックで銅メダルを獲得するところまで引き上げた。Jリーグの前身である日本リーグを発足させたのも 彼の提案によるものであった。
ところで 上智のサッカーについて
32年 苦しい戦いの末 関東大学リーグ2部に昇格 上智で華やかに活動するクラブとなり 上智のサッカー サッカーの上智と言われた。33年から49年の17年間関東大学2部に在籍して1部昇格チャンスが2度あったが果たせずいまだに悔しい思いである。
49年東京都リーグ1部に降格 一昨年2部へ 去年3部へ2年連続降格 今年から3部で戦うことになった。私は今年から2度目の監督をしているが言葉では教えない教え方でやっている。選手には人に対する思いやりや人の心を察する力をつけることを要請している。サッカーはチームワークだからだ。才能豊かな選手が多く今年は3部全勝優勝し関東大学2部へ復帰する基盤つくりの年としたい。
2002年ワルードカップで活躍した日本サッカーの礎はクラマーさんに遡る。
日本サッカー協会は100年構想を打ち出している。
上智もサッカーも大人になったがまだ紳士になりきっていない。
笛が鳴るまで最後まで諦めない!(体育会サッカー部監督、元三共製薬)
37年経経卒 体育会サッカー部監督 鶴岡朝行
- 「なぐさめ」という仕事:柴田 泰正(H11 比較文化学部日本語日本文化学科卒)
- 映画『able』上映会のお手伝いをして:田辺 学(S58経・経)
- 人生は「Action comes First!」:諏訪部 孝道(S41経・経)
- サッカー人生〜サッカーは子供を大人にし、大人を紳士にする:鶴岡 朝行(S37経・経)
- トラウマ脱出の為のヨーロッパ演奏旅行:秋元 征紘(S43経・経)
- わが愛しのブエノスアイレス(MI BUENOS AIRES QUERIDO):中岡 敬行(S48経営)
- 懐かしい思い出:元経済学部長 佐藤真一
- 経済学部三役との交流会:八木達郎(S49経・営)
- 「15周年を迎えて」:経鷲会会長 川野 克美(S33経・経)
- 経鷲会と経済学部:経済学部長 上妻 義直(S48経・営)
- 青山さんからの手紙:事務局
- 大いに盛上ったオールソフィアンズデイ:上原 隆一(S51経営卒)
