コスタリカで第二の人生をスタート!

コスタリカで第二の人生をスタート!:山縣 孝宏昨年4月初めJICA(国際協力事業団)のシニアボランティアとして中米のコスタリカに派遣され、現在学生数12千人の国立大学で客員教授として勤務しています。

この大学では理学部所属の研究室で経営管理のアドバイザーを委嘱され、組織、運営面につき適宜意見を述べたり、大学の要請に応じ学生に対し日本の経済・産業の発展、歴史等につき講義を行ったり、時には妻の協力を得て各地の小学校で折り紙教室を開催し、その助手を務めたりしています。大学の勤務は私にとって初めての経験で、若い学生達に囲まれた毎日は青春時代の輝きを再現してくれる感じです。

“ Old soldiers never die, they simply fade away. ”

思い起こせば上智の経済学部を62年に卒業し、石油開発会社に入り丁度40年間、89年から10年間アラブ首長国連邦での中東代表としての勤務も含め、石油業界一筋に生きてきましたが、いつの日かアカデミックな雰囲気の中で自由な活動をしたいと思うことが何度かありました。60歳を過ぎる頃から、遅ればせながらどのような第2の人生を歩むかにつき真剣に考え始め、閑職につく機会をとらえ“ Old soldiers never die, they simply fade away. ”のとおり会社から身を引く決意をしました。

実を言うと、それまでコスタリカに関しては殆ど知らず、いろいろな本を読んで「軍隊のない国、地球上の全動物種の5%(鳥類は10%)が生息する自然の宝庫、中米の花園と呼ばれる国」という事が分り、その様なところであれば是非仕事をしたいと考え一昨年秋応募しました。
そして書類審査の後、論文提出、英語の試験、面接を経て昨年1月に合格通知をもらい、スペイン語の特訓を妻とともに受け当地にやって来ました。 スペイン語は上智で第2外国語として学んだ事はありましたが、高年齢の現在、複雑な文法はもはや克服しがたく今も相変わらず悩まされています。

日没時の大きな太陽、茜雲、夜空の満点の星

私は入社後まもなく会社からの派遣で、地中海のレバノンにあった英国外務省所属の語学学校で難解なアラビア語を学びましたが、今回程、語学習得に際し年齢のハンディを強く感じたことはありませんでした。
着任したコスタリカは北緯10度の熱帯圏に属し、東はカリブ海、西は太平洋に面しており四国と九州を合わせた程の面積で、人口は400万人弱の小さな国です。主要都市の殆どが標高1,000メートルくらいの高度にあるため、年間平均気温は約21℃と過ごしやすく、我々が現在住んでいる小さな町は更に高地にあることから、夜は長袖が必要になります。町の中心には教会、公園、学校があり周囲にはコーヒー畑が点在します。また遠くには高い山並みが続き、特に日没時の大きな太陽、茜雲、夜空の満点の星は空気が清んでいるせいか非常に印象的です。

当地に来て以来、夕刻の美しく変わり行く空を眺めながら、民家の庭先の大きな木にたわわに実っているマンゴやパパイヤを見、日本では見られないハチドリや大型インコを見つけながらの散歩は我々の日課となっています。

中南米で頭に“C”のつく3つの国

中南米で頭に“C”のつく3つの国は美人が多いと言われていますが、その一つコスタリカは主にスペイン系の白人及びメスティソと呼ばれる白人と原住民との混血の比率が95%と圧倒的で、若い女性は大きな目、豊かな胸をした美人が大変多く目を引きます。しかし年齢を重ねるにつれ、体重が加わることもあり、その美しさを失っていくのは残念なことです。

この国はかって「中米のスイス」とも言われ、自然に恵まれていることから観光立国を目指しており、また安定した政情と国民の高い教育レベルで近年はコンピューター、製薬産業の外資誘致に成功しています。しかし伝統的な輸出産物であるコーヒー、バナナ、パイナップル等の農産物価格が低迷しつづけていることもあり、財政状況は好転せず、道路を含めインフラの整備はまだまだ遅れています。

私の任期はこれまで延長の可能性も考えられましたが、在任中に孫が2人生まれ、まだ会っていないこともあり、当初予定通り帰国することにしています。

いつの日かこの国がスイスに追いつくことを念願しつつ、4月にはコスタリカを離れる予定です。

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