「貴様の学校だな、靖国神社の参拝を拒否したのは!貴様はこれをどう思っているんだ!」・・・それは私が受けた衝撃の一言だった。

昭和18年の秋、当時予科2年(旧制)在学中だった私は、太平洋戦争の戦局打開のための学徒動員により、同年12月陸軍に入隊し、行った先は北朝鮮の羅南の部隊であった。

羅南の12月の寒さは零下20度以上で、東京育ちの私にとっては過酷極まりない試練であった。入隊早々呼ばれた人事調査の折り、担当教官のS中尉から部屋に入るなり浴びせられたのが冒頭の言葉であった。一瞬、頭の中が真っ白になった私が答えたのは、自覚していると云うところを「自重しています」と答えてしまったのである。それで教官はいっそう心証を害したようであった。

軍閥の絶対支配下の日本における一部の学生の信念と行動

この問題は私の入学する以前の出来事である。一部のカトリック信者の学生が、参拝時に例外を申し出たことが発端だと薄々聞いてはいたが、まさかこんな場所で言われるとは思いも寄らなかった。しかし、当時、軍閥の絶対支配下の日本にあって、一部の学生の信念と行動はいま思えば立派だったと思う。この問題は、当時、ローマ法王庁の要請と当局の特別な計らいで、大学の危機が救われたと聞く。

いまも、靖国問題では首相の参拝の是非が問われ、揺れているが、外圧などに迷わされず前向きの姿勢を崩さず、信念を貫いて欲しい。

「おれたち、予科を仮修了できたぞ」

今一つは、偶然にも私同様、同じ部隊に入っていた予科2年丙組の安田武君から、未だ初年兵教育の最中、「おれたち、予科を仮修了できたぞ」と知らされ、営庭の中でお互いに抱き合って喜んだことが今でも鮮明に残っており、忘れてはいない。昭和19年2月末だったかと思う。

彼も私も終戦後、満州から別々ではあるがシベリアに抑留され、苦労の末、復員して大学に復学した。彼は帰国後、第二次大戦で不幸にして戦病死した人のための戦没学生の手紙(きけわだつみの声)の編集に携わったと聞いてはいたが、いまは故人になられてしまっている。

彼も私も戦争犠牲者の一人であったと思う。戦争を知らない、ましてその経験もない幸せに過ごしている現在の学生諸君には、到底理解できないことと思う。戦後すでに半世紀以上過ぎ、当時20歳代の私も今年の3月で80歳(傘寿)になる。私にとって、青春の苦い体験は今は昔の遠い出来事である。

今年も、桜の季節には、北朝鮮羅南から南方(フィリピン)に赴いて亡くなった戦友の眠る靖国神社の英霊に会いに行くつもりだ。

(平成14年12月記)

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